大判例

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東京地方裁判所 昭和48年(行ウ)28号 判決

原告 林景明

被告 国

訴訟代理人 吉田昂 押切瞳 荒木文明

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が日本国籍を有することを確認する。

2  被告は原告に対して一、〇〇〇、〇〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一  原告は、昭和四年九月五日当時日本領土であつた台湾において日本国民である父林大英、母林蘇氏随の子として出生して日本国籍を取得したものであるが、爾後右国籍を喪失すべき法律上の原因が何ら在しないから、現に日本国籍を有するものである。

二  しかるに、被告は原告が日本国籍を有するものであることを認めず、そのため原告は、本邦入国後在留期限の経過を理由に二回に亘つて収容所に収容され、さらに常時退去強制令書の執行を受ける危険にさらされ、これらによつて多大の精神的苦痛を被つている。

三  よつて、原告は被告に対して、原告が日本国籍を有することの確認と右の精神的苦痛に対する慰藉料相当額一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求める。

(被告の認否及び主張)

一  認否

1 請求原因一のうち、原告が現に日本国籍を有するものであるとの主張を争い、その余は知らない。

2 同二のうち、被告において、原告が日本国籍を有するものであることを認めずにその主張の理由によつて二回に亘り収容所に収容したことは認め、その余は争う。

3 同三の慰藉料相当額は争う。

二  主張

原告は以下述べるとおり日本国籍を有しないものである。

1 台湾人の日清講和条約後の法的地位について

(一) 日清講和条約から終戦まで

台湾は、明治二八年五月一〇日、日清講和条約によりその領土が日本に帰属することとなり、その領土主権と対人主権が日本に完全に譲渡され、その構成員だつた台湾人全部について譲渡当時国内に住所を有するかどうかを問わず日本国籍を有することとなつた。

しかし、右条約により台湾人が日本の国籍を取得して日本人になつたといつても、当時の法制上それらの者は、本来の日本人であるいわゆる内地人とその身分(法的地位)において明確に区別されていた。

即ち、台湾の歴史的背景、風俗習慣等の特殊性に基づき日本の法制の建前としては、内地の法令は当然にはこれら外地(台湾等)に施行されないこととなつていた。例えば、台湾は旧国籍法(明治三二年法律第六六号)の当然の施行地域の中には含まれていなかつたから、台湾については、「国籍法ヲ台湾ニ施行スルノ件」(明治三二年勅令第二八九号)が制定されたことによつてはじめて旧国籍法が同地においてその適用をみたのであつたし、大正七年には共通法(法律第三九号)が制定されたが、それは当時において内地、台湾、朝鮮がそれぞれ一つの異法地域をなしていたのでこれら地域相互間にわたる法律関係を同法によつて律しようとしたのであり、ことに民事については、これら地域相互間にわたる法律関係は、いわば準国際私法的な関係に立つていたものというべく、等しく日本人であるといつても、台湾人及び朝鮮人は、それぞれ内地と異なつた地域たる台湾または朝鮮に属する者として、身分上内地人と明確に区分されていたのである(共通法二条二項)。

戸籍関係についてみれば、内地人が戸籍法の適用をうけ戸籍に登載されていたのに対し、台湾人等には戸籍法の適用はなく、台湾人は「本島人ノ戸籍ニ関スル件」(昭和七年律令第二号)、「本島人ノ戸籍ニ関スル事務ヲ郡守、警察署長、警察分署長、又ハ支所長ヲシテ取扱ハシムルノ件」(昭和七年勅令第三六一号)、「本島人ノ戸籍ニ関スル件」(昭和八年台湾総督府令第八号)等の法令により台湾の戸籍に登載されていたのであり、内地人とは、戸籍及び適用法律を異にしていた。一方の身分(台湾人)から他方の身分(内地人)に移ることは原則として禁ぜられ、従つて、このように身分上内地人と截然と区別されていたから内地との相互間における転籍、就籍、分家、一家創立等も許されていなかつた。

(二) 終戦から対日平和条約発効まで

昭和二〇年九月二日降伏文書の署名が行なわれ、日本の統治権は連合国最高司令官の制限下におかれ、台湾は将来日本の領土から分離することが約束され、事実上日本の主権が及ばなくなつた。

また、昭和二一年四月二日連合国最高司令官から日本政府あてに「非日本人の入国及び登録に関する覚書」が発せられ台湾人を「非日本人」として登録させることを要求し、同年五月七日発せられた「日本人及び非日本人の引揚に関する覚書」でも台湾人を「非日本人」として日本から引揚げさせることを指令している。

昭和二二年五月二日外国人登録令(勅令第二〇七号)が公布施行されたが、その一一条一項において「台湾人の内、外務大臣の定める者及び朝鮮人は、この勅令の適用については当分の間これを外国人とみなす。」と規定され、同令施行規則一〇条によつて「外務大臣の定める者」とは台湾人で本邦外に在る者及び本邦に在る台湾人で中華民国駐日代表団から登録証明書の発給を受けた者のうち令二条各号に掲げる者以外の者をいう、とされていたから台湾人は、未だ法的に日本国籍を有するにも拘らず、外国人として取扱われ外国人登録の対象とされていたのである。

これは、ポツダム宣言受諾により、日本の主権が本州、四国、九州及び北海道に局限されることとなり、日本の占領が徹廃されると台湾が中国に復帰することが予定されていた当時の特殊事情によるものであつて、台湾人も原則的には日本国籍を保有していることを前提としながらもこのような特例を設けたものである。

(三) 対日平和条約発効後について

対日平和条約二条(b)項は「台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しており、右規定は日本が台湾に対する領土権一切を放棄したことを意味するが、領土変更に伴う国籍の変動については明文をもつて規定していない。

しかし、領土変更に伴つて対人主権の紐帯としての国民の国籍に変動のあることは国際法上通例のことであり、同条約二条(b)項は台湾を日清講和条約による日本領有前の状態に回復させることにあると解されるから、台湾に現住する台湾人のみではなく、仮に日本が台湾を領有しなかつたならば日本国籍を取得せず、中華民国の国籍を保有したであろうすべての者(即ち台湾人)か、平和条約による領土割譲に伴い対日平和条約発効の日(昭和二七年四月二八日)または遅くとも日華平和条約発効の日(昭和二七年八月五日)に日本国籍を喪失したものと解される。

2 対日平和条約について

中華民国は、対日平和条約の署名国でないが、同条約は署名国を含む連合国に対する関係においては効力を有するものであり、従つて、日本国が台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことは、その権利を何国が取得したかを問わず、署名国を含む連合国に対し有効であつて、中華民国が署名したかどうかに関係ない。故に台湾に属する人もこの条約によつて日本国籍を失つたものと解さなければならない(この関係は朝鮮人におけると同様である。)。この条約の結果台湾人がいずれの国の国籍を取得するか(または無国籍人となるか)は、日本国の関与し得ないところであり関知しないところである。

3 日華平和条約について

日華平和条約は、昭和二七年四月二八日両国代表によつて署名され、同年七月五日国会の承認を受け、同年八月五日約条第一〇号として公布されたものであり、完全に有効な条約である。

しかしながら、日華平和条約は、対日平和条約二六条に基づいて締結された条約であり、同条の定めるように、同条約に定めるところと同一または実質的に同一の条件を有するものであり、日華両国にとつて、この条約は、対日平和条約の再確認にすぎず、いわば、追認的意味を持つていたにすぎないのであり、対日平和条約を覆す意思をもつていなかつたと認むべきである。

即ち、日華平和条約一〇条は、「この条約の適用上、中華民国には、台湾及び澎湖諸島のすべての住民及び以前にそこの住民であつた者並びにそれらの子孫で、台湾及び澎湖諸島において中華民国が現に施行し、又は今後施行する法令によつて中国の国籍を有するものを含むものとみなす。」と規定しているけれども、台湾人の国籍変更は、直接には、同条に基づくものではない。この規定は、台湾人が日本国籍を喪失したこと(平和条約二条(b)項により)を前提とする解釈規定にすぎない。日華平和条約においては、むしろ一一条が国籍変更を規定するところであるが右二条も対日平和条約二条(b)項を再確認したにすぎない。

従つて日中国交正常化の結果として、日本と台湾との法的関係は解消し、日華平和条約は、もはや台湾との間においては存続の基礎がなくなり、同条約の性質上これを今後日中間において適用していくことはできず、存続の意義を失う事態が生じ、日中国交正常化に伴い将来に向かつて終了し、現在においては効力を有しないものであるけれども、このことは台湾人の国籍変動に影響を及ぼすものではない。

のみならず、日中国交正常化前においては、日華平和条約は有効に存続していたのであるから、その間に同条約によつて生じた既往の効果たる台湾人の国籍変動の事実は、日中国交正常化によつても消滅するものではない。

4 国籍非強制の原則及び人権に関する世界宣言について

(一) 国籍の変更はいかなる場合も個人の自由意思に従うべきであり、何人も自己の同意に基づかないで、現に有する国籍を変更させることはないという、いわゆる国籍非強制の原則は、未だ確立した国際慣習法ではない。

本件のように戦争の結果に基づく領土の変更に伴う国籍の変動の場合は、一国の国内法たる国籍法によるものではなく、もつぱら国際法、即ち条約によつて国籍が決定されるべきであり、またこの変更に関しては、国際法上で確定した原則がなく、各場合に条約によつて明示的または黙示的に定められるのが通例である。憲法もまた領土の変更に伴う国籍の変動について条約で定めることを認めたものであり、戦争の終結を意味する平和条約によつて決定され、その解釈に委ねられるのが国際法上の原則である。

ところで、日本が台湾等の領有権を放棄することとなつたポツダム宣言ないし対日平和条約において領土の変更に伴う国籍の変動については何ら特別に明文の規定を設けていない。しかし、ポツダム宣言及び対日平和条約において台湾の領土等の放棄を定めた趣旨は、要するに、原状回復の思想を基盤としていると解されるのであるから、国籍の点に関してもたとえ右条約に明文の規定がなくともこの条約の趣旨から考えて、仮に日本による台湾の領有がなかつたならば、日本の国籍を取得せず、中華民国国籍を保有したであろうすべての者(日本が台湾を領有したことにより日本国籍を取得した台湾人としての両親から出生して日本国籍を有する子、その子孫等)が、領土変更に伴い日本の国籍を喪失すると解すべきことは当然の事理である。

(二) 世界人権宣言は法的拘束力を有しないのであつて、同宣言は、法律ないし条約を立法する場合において達成を努力すべき目標であるにすぎず、また対日平和条約においても「世界人権宣言の目的を実現するために努力し……」と述べられているように世界人権宣言一五条がそのまま法律として効力を有するものではないのであるからその規定に基づいて、原告が日本国籍を有するものということはできない。国籍選択制度の採否は、台湾を支配する主権を有する国が決定すべきであり、日本国は、条約によつて国籍選択に関与する場合があるのみであり、単独には国籍選択に関与する権利を有しない。

従つて世界人権宣言一五条は、平和条約二条め効力を覆すものではない。のみならず、世界人権宣言一五条の「ほしいまま」というのは、法律または条約によつて定まつた国籍を個別的に政府が奪う場合をいうのであつて、条約による預土変更により一般住民の国籍を変更する場合を含まない。

従つて、本件の場合、ほしいままに国籍を変更した場合には該らない。

(被告の主張に対する原告の反論)

台湾人が対日平和条約によつて日本国籍を喪失したとする被告の主張は以下述べるとおり失当である。

一  対日平和条約と国籍の変動について

被告は対日平和条約二条(b)項により日本が台湾に対する領土権を放棄したのに伴い明文の規定はないがその合理的解釈として台湾人は、日本国籍を失つたと主張する。

しかしながら以下の理由から被告の主張は失当である。

1 対日平和条約前文に「日本国としては……世界人権宣言の目的を実現するために努力し……」とあるとおり、対日平和条約の解釈は当然世界人権宣言の精神に沿つてなさるべきものである。世界人権宣言一五条の国籍に対する考え方は後述のように領土の変更と住民の国籍変更とは分離して取扱おうとするのであるから、領土についてのみ規定する平和条約二条をもつて台湾住民の国籍変更も定めるものと考えることは困難である。仮に平和条約に台湾住民の国籍の変更について明文の規定があるとしても、個々人の国籍変更について、各人の同意を要件とし、または少なくとも各人に対して国籍選択の機会を与えていない以上、世界人権宣言の前記精神に照らし、右規定の効力は否定さるべきものであるが、対日平和条約はその二条で領土権の放棄についてのみ規定するに過ぎず、国籍には何ら言及していない。

従つて、平和条約二条について如何なる解釈をしても、同条をもつて国籍変更に関する規定であるとすることはできないものというべきである。

2 中華民国は対日平和条約の当事国となつていない。

本来条約は締結当事国の間で効力を生じその間での法律関係を規制する効力を有するに過ぎないが、中華民国は対日平和条約の当事国とはなつていないから同条約により原告の国籍が日本国より中華民国に変つたとすることができないのは勿論である。中華民国は日本国との間に対日平和条約とは別個に日華平和条絶を締結している。

従つて対日平和条約を、当該条約の当事国となつていない中華民国と日本国との間の国籍変更の効力を生ずる根拠とすることはできない。

3 また仮に対日平和条約二条(b)項で日本が台湾等の領土放棄をしたことにより当該地域に住む旧台湾人が日本国籍を喪失したとするならば、ここで彼らが取得したと考えられる唯一の国籍は中華民国の国籍であるが、同国は対日平和条約の当事国ではないので同条約により日本国と中華民国との関係が変更を受けたとは考えられず従つて原告が中華民国の国籍を取得したとすることができないことは前項に述べたとおりである。

してみると、この様な仮定に立つて考える限り原告の国籍は対日平和条約により無国籍になつたと考えざるを得ない。しかし、現在の国際社会は無国籍人の発生することを歓迎するものではないこと、また日本の国籍法が国籍の喪失は他国籍の取得を当然の前提として考えていることなどを考えると、このような考え方は到底首肯し得ないものといわなければならない。

要するにこのような面から見ても対日平和条約をもつて原告の国籍が変動したとする根拠とすることはできないのである。

4 更にまた仮に、対日平和条約は、台湾の領土権を日本が放棄したことのみを連合国に対して定め、それがいずれの国に属するかはその後の当該相手国と日本国との間の条約により定まるべく予定されていたとするならば、平和条約締結後当該相手国との間で別途条約が締結されるまでの間はこれらの領士がいずれの国にも属さないいわば無主物となつたと考えるべきではなく、法的には未だ日本領土と考えるべきであるから、このような状況で国籍の変更があつたなどとは考えられないのは当然である。

即ち、対日平和条約で領土を放棄した意味はかなり中間的なものであり、このような態様における領土変更にその住民の国籍変更の効果まで伴わせることは仮に領土割譲と住民の国籍変更とが不可分であるとの考え方に立つても不可能である。

二  日華平和条約と国籍の変更について

1 中華民国は日本との関係において講和条約を締結する資格を有しない。

即ち、日華平和条約を締結した当時の中華民国政府は日本と戦つた中国を代表する正統政府ということができない。当時同政府は地域において中国の領土の一パーセント以下それも日中戦争中は中国の一部ではなかつた地域を支配するに過ぎない状態であつた。また中国本土の状態を見ても既に昭和二四年中華人民共和国が成立してより三年を経て確固たる政権に成長している。革命政権が成立して従来の政府が支配の半ばを失つたような場合においても革命の大勢が決まらず流動的であつて革命の結果がどうなるか分らない場合には国際社会においてなお旧政府が正統政府として取扱われることがあるが、当時の中華民国にはこのような条件が存在しないのである。

一国の政府がその支配領域の大半を失い、かつ、そのような状

態が固定的となつている場合には、これと形式的手続をふんで条

約を結んでも有効な国際法的効果を持ちえない。

この意味において当時の中華民国は既に講和条約締結の当事者適格を喪失していたというべきであり、日華平和条約は、効力を有し得ない。

2 日華平和条約一〇条の「みなし規定」は旧台湾人の国籍に変更を来すものではない。

同条約一〇条は「この条約の適用上、中華民国の国民には台湾及び澎湖島の全ての住民及び以前にそこの住民であつたもの並びにそれらの子孫で、台湾及び澎湖島において中華民国が現に施行し、又は今後施行する法令によつて中国の国籍を有するものを含むものとみなす」と規定している。同条約は二条で台湾の帰属についても日本が放棄することをのみ定めて、いずれに帰属するか決めていない。これは形式的には対日平和条約により日本は台湾を放棄し既に処分権を有しなかつたこと及び実質的には中華民国以外に権利主張国があり帰属を明確にしえなかつたので、台湾人の国籍についても明確な規定をすることなく適用上のみなし規定に止めたものであつて、日華平和条約一〇条は一般的に旧台湾人の国籍に変動を与えるものではないと解すべきである。

ところで、日華平和条約一〇条により同条約の適用上中華民国法によつて同国民とされた者は中華民国国民として取扱われることになつたので、制限的にせよ中華民国の属人管轄権が旧台湾人に及ぶようになる結果、日本の国籍法八条によつて二重国籍により日本国国籍を失つたのではないかという疑問が生ずる。しかし、八条は「自己の志望によつて」と明定してあるとおり任意の国籍変更をいうのであり本件の場合にあてはまらないことはいうまでもない。

3 日華平和条約失効後の国籍について

日華平和条約が無効であつて、これにより旧台湾人の日本国籍が失われたものでないことは前述のとおりであるが、仮にこれを有効としてみても、昭和四七年九月二九日、日中共同声明により日本国と中華民国の国交は断絶して、日華平和条約は失効した。

ところで、日中共同声明により日華平和条約は将来にむかつてのみ失効するのではなく、同条約の当初から無効が宣言されたものと解せられるから、条約締結以前の状態に回復されるべきものであることは当然であり、従つて原告の国籍も日華平和条約締結前の状態に回復したものといわざるを得ない。

三  国籍非強制の原則と原告の日本国籍

国籍の変更は個人の自由意思に従うべきであり何人も自己の同意に基づかないで、現に有する国籍を変更されることはないといういわゆる国籍非強制の原則は既に確立した国際慣習法である。

世界人権宣言もこの原則をとりあげその一五条に何人も専断的にその国籍を奪われることはない旨規定している。この「専断的に」という意味には本人の意思に基づくことなく一方的に国籍を変更すること、または少くとも国籍変更の場合に移住その他により自己の希望する国籍を選択する機会を与えないことを当然含んでいる。従つて、国家間の合意のみにより国が所有している財産権等を放棄することは可能としても、その国民の国籍を一方的に変更することは不可能といわなければならない。

現に、前世紀後半以後の各国の領土割譲を取決めた条約には国籍選択の機会を附与したものが通例であり、台湾を清国より日本に割譲する旨取決めた日清講和条約も五条により日本国籍の取得を希望しない台湾在住民は二年以内に台湾より退去することができる旨定めて住民に国籍選択の余地を残している。

ところが原告は第二次大戦終結時より現在に至るまで、日本国籍の変更につき被告より同意を求められたことは勿論のこと、国籍選択の機会を与えられたこともない。しかるに被告は一方的に原告の日本国籍を否認しているものであり、これは明らかに前述の国籍非強制の原則に反するといわなければならない。

また日本国憲法一〇条は「日本国民たる要件は法律でこれを定める」と定め、昭和五年四月一二日の「国籍法の抵触についてのある種の問題に関する条約」一条は「何人が自国民であるかを自国の法令によつて決定することは各国の権限に属する」とし、二条は「個人がある国の国籍を有するかどうかに関する全ての問題はその国の法令により決定する」と定めているが、これが個々人が当該国の国籍を有するか否かの問題には当該国の意思が他に優先することを意味する。つまり個々人が日本国籍を有するか否かは日本国の法令・慣習により第一義的に決定せられるべきものであるが、このような意味で国籍選択制度ひいては国籍非強制の原則は仮に国際法上確立した慣習法とは認められない場合でも少くとも日本の国際条約の解釈に関しては確立されたものとして考えるべきである。

第三証拠〈省略〉

理由

一  〈証拠省略〉によれば、原告は、昭和四年九月五日にいずれも台湾人である父林大英、母林蘇氏随の三男として出生し、台湾の戸籍に登載されていることが認められ、これに反する証拠はない。

右認定事実によると、原告は出生によつて日本国籍を取得したものである。

二  そこで、原告が右日本国籍を喪失したか否かについて判断する。

1  台湾及び澎湖諸島は、明治二八年四月一七日に締結された下関条約によつて日本に割譲され、これに伴い、台湾の住民のうち、日本の国籍を欲しないで二年以内に退去した者以外は、日本国籍を取得した(同条約五条)。更に明治三二年「国籍法を台湾ニ施行スルノ件」(明治三二年勅令第二八九号)により、旧国籍法の適用を受けることとなつたが、台湾人と内地人とは截然と区別されており、戸籍関係においても、内地人が戸籍法の適用を受けていたのに対して、台湾人は内地人と戸籍を異にし(「本島人ノ戸籍二関スル件」(昭和七年律令第二号)、「本島人ノ戸籍ニ関スル事務ヲ郡守、警察署長、又ハ支所長ヲシテ取扱ハシムルノ件」(昭和七年勅令第三六一号)、「本島人ノ戸籍ニ関スル件」(昭和八年台湾総督府令第八号))、相互間における転籍、就籍、分家、一家創立等は許されず、ただ婚姻、養子縁組等の身分関係の変動に伴つて、内地人が台湾人として、あるいは台湾人が内地人として本籍を取得することができたのみであつた(共通法二条)。このように台湾は日本の統治下においては一の異法地域をなしていたものである。

2  対日平和条約は、二条(b)項において「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定し、日華平和条約二条も「●●●日本国との平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される。」と同趣旨の規定をしている。右両条約を統一的に解すれば、要するに、昭和二〇年八月ポツダム宣言の受諾により、事実上日本国の主権の及ばなくなつた台湾及び澎湖諸島の領有権につき、対日平和条約によつて一方的にこれを放棄し、日華平和条約によつて受益国が特定されてその放棄が完結したものというべきである。

3  ところで、右いずれの条約においても、領土変更に伴う国籍の変動については明文の規定が存せず、また、憲法一〇条は日本国民の要件を法律で定めることを規定しているのであるが、領土の変更に伴う国籍の変更については国籍法上も規定が存しない。

しかしながら、領土変更に伴つて割譲地住民の国籍に変動のあることは国際法上通例のことである。

ところで、日華平和条約によれば、昭和一六年一二月九日前に日本国と中国との間で締結されたすべての条約、協約及び協定は、戦争の結果として無効になつたことが承認され(四条)、日華平和条約の適用について、中華民国の国民には台湾及び澎湖諸島のすべての住民及び以前にそこの住民であつた者並びにそれらの子孫で台湾及び澎湖諸島において中華民国が現に施行し、又は今後施行する法令によつて中国の国籍を有するものを含むものとみなす(一〇条)ものと規定していることに照らすと、日華平和条約の趣旨とするところは、台湾につき日本が併合する以前の法律状態に回復させることにあり、日本と中華民国との関係においては、台湾人の国籍についても取決が成立したものと認められることからすれば、同条約二条の効力として台湾人としての法的地位を有した人につき、同条約発効の日である昭和二七年八月五日に、日本国籍を喪失したものと解するのが相当である。

4  そして台湾人の法的地位を有した人として、日華平和条約により、日本国籍を喪失した者は、下関条約により、台湾及び澎湖諸島が日本に割譲された結果、日本の国内法上、台湾人としての法的地位を取得した人及びそれらの子孫であつて、具体的には、台湾の戸籍に登載された者及びもと内地人であつた者でも、日華平和条約発効前に台湾人との婚姻、養子縁組等の身分行為により内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じた者を指し、もと台湾人であつても内地人との身分行為により、内地の戸籍に入籍すべき事由の生じた者は内地人として日本の国籍を保有することになるものと解すべきである(昭和三六年四月五日最高裁大法廷判決民集一五巻四号六五七頁、昭和三七年一二月五日最高裁大法廷判決刑集一六巻一二号一六六一頁参照)。

本件において原告は、前示のとおりいずれも台湾人である両親から出生し、台湾の戸籍に登載されている者であり、即ち台湾人としての法的地位を有していた者であるから、右条約発効とともに日本国籍を喪失したものというべきである。

5  もつとも、日本国は、昭和四九年九月二九日署名した日中共同声明により、中華人民共知国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認した(共同声明二項)が、これは、当然に中華民国政府の否認を意味することとなり、そうすると日華平和条約は、日中共同声明に基づく日中国交正常化によつて、その存在意義を失つて、終了したものと解さなければならないこととなる。

しかしながら、日華平和条約のうち、日中国交正常化の行なわれた当時、なお有効的に働き、将来に向つて履行を請求し得る効力に関する条項は、日中共同声明によつてその効力を失うと解すべきであるが、日中平和条約の発効とともに使命を達したもの、即ち既に履行済であつて将来積極的な意味を有しない効力に関する条項については、日中共同声明によつても、何らその効力に消長を来たさないものというべきである。

従つて、日華平和条約二条に基づいて、日本国が、台湾及び澎湖諸島の権利、権原及び請求権を放棄したことによる効果、即ち台湾人としての法的地位を有した人が日本国籍を喪失した効果は何ら影響を受けるものではなく、日本国籍を喪失した台湾人が、遡及的に日本国籍を回復することになるものではないことは明らかである。

6  人権に関する世界宣言は「何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない」旨規定している(同宣言一五条二項)。

右にいう「ほしいままにその国籍を奪われない」とは「正当な手続及び正当な理由なくしてその国籍を奪われない」と解するのが相当であつて、「ほしいままに」を「専断的に」と訳して、「国家の側から一方的にその国籍を奪われない」と解することは厳格かつ狭きに失するものというべきである。ところで、台湾人の日本国籍の喪失は、前示のとおり、戦争の結果に基づく平和条約による領土の割譲に伴つた国籍の変動として生じたものであり、かつ領土の変更に伴う国籍の変更に関しては、後記のとおり条約により明示的或は黙示的に定められるのを通例とするから、世界人権宣言は、このような包括的な国籍の変更までをもほしいままな国籍剥奪として禁止する趣旨のものではないというべきである。従つて、日華平和条約により台湾人が日本国籍を喪失したと解することは、正当な手続及び理由に基づいたものとして、世界人権宣言に抵触するものではないといわなければならない。

のみならず、世界人権宣言は、法律を制定し、条約を締結する際の指針にすぎないものと解すべきであつて、世界人権宣言規定が直接、個々の私人の国籍の得喪変更を左右するものではないというべきである。

7  国籍の変更は、個人の自由意思に従うべきであり、何人も自己の同意に基づかないで、現に有する国籍を変更されることはない、といういわゆる国籍非強制の原則が唱えられている。

しかしながら、領土の変更が、割譲地の住民等の国籍に対していかなる影響を与えるかに関しては、領土の変更の結果、割譲地の住民が当然に譲受国の国籍を取得するというのがなお国際法上の原則というべきである。国籍選択の制度は、右原則の適用を緩和することから、近時の条約先例おいて広汎に行なわれるようになつた(日本においては、明治二八年五月七日樺太千島交換条約以降例外なく国籍選択権が認められてきた。)ものとはいえ、条約に対する一の指針であるに止まり、条約に何ら規定がない場合でも割譲地住民に当然、国籍選択が認められる、という意味における国籍選択制度が国際慣習法として確立しているわけのものではない。

また、憲法一〇条は、日本国民の要件を法律で定めることを規定するが、国籍法には領土の変更に伴う国籍の変更に関する規定は存せず、前示のとおり、確立した国際慣習法がないのであるから、各場合に条約により明示的または黙示的に規定されるべき性質のものというべきである。

そうすると、日華平和条約二条により日本国籍を喪失する者の範囲は、同条約四条、一〇条の趣旨、下関条約により台湾及び澎湖諸島の割譲に伴う台湾人の日本国籍の取得、右領域の日本統治下における特殊事情等からして、台湾の戸籍に登載された者及び登載されるべき事由の存した者と解すべきことになるのは、前示のとおりであつて、このように解したからといつて、国籍選択制度が、国際慣習法として確立していない以上、不合理なものということはできない。

結局、国籍非強制の原則によつても、原告が日本国籍を喪失したとする前示判断は覆し得ないものというべきである。

三  以上のとおり、台湾人は日華平和条約の発効により日本国籍を喪失したものであり、〈証拠省略〉によるも右を覆すものとはいえない。従つて台湾人であるとして日本国籍の確認を求める原告の請求は理由がなく、日本国籍を有することを前提とする損害賠償の請求も理由がない。

よつて、原告の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 内藤正久 山下薫 飯村敏明)

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